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思い出と物の価値:遺品整理を通じて感じたこと
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こんにちは!ゆやのです♪
先日、知り合いの遺品を整理する機会がありました。
1人暮らし、2LDKのその部屋には1人分とは到底思えない物の量。
その方が自宅で仕事をしていたこともあり、そのための物も多く、約1週間はかかりました。
その人の生涯のうち、ほとんどを映してきたであろうドレッサー、好みの分かるカップボードやTV台。
そして、一人のひとに対してあまりに多い服の山。
ひとつひとつどうにか次の誰かの元へリユースできたら、という気持ちで無料で引き取りを募集し、あらかたの家具やかなものなどは、業者さんや個人の方に引き取られていきました。
ほんの少しだけ、物が減った部屋で時間に追われながら整理するほうとしては、悲しみに暮れる時間などはほぼなく、どちらかというと流れ作業にも等しいそれがその人に対して特に親しかったわけではなかった私でも、時間さえあればもう少し違うやりかたもあったのではと罪悪感に心が痛むものでした。
たくさんのものがあっても不思議と自分にとっては価値が見いだせなかった・・・・。 捨てるしかなかったものが多いのです。
CALMA STORE店主がものづくりに対する姿勢を話してくれた時、「物はあの世には持っていけない。いつかはゴミになってしまうのだからできる限り産み出さない方がいいし、持つものは少ないに越したことはない。だけど、生きる上で必要なものは必ず存在するから、産み出す方はなぜ必要か、これでなくてはダメか、と思えるようなものを作らなければ・・・」というような事を話していたことが思い出されました。
「自分が愛したものは他人にとってはただのゴミ。」
なんて、悲しいことでしょう。
でも、そこに元持ち主との「思い出」が加わるとそれは私にも価値を見出せるものになったのではないかと思います。
自分の欲求。それを満たすことが自分を大切にしていること、、と思っていましたが、「物の持つ意味」を考えながら、自分に「必要か不必要か」も考えられるようにならなければ・・・という気づきがありました。
必要か否か。
とてもシンプルだけど、選択は難しいですね。
物が少ないと、遺された人もなにが「大切な」ものだったのかが分かりやすいのかなと思います。
私も、歳はどんどん増えていくので、少しずつ「思い出」に浸れる価値のあるものを厳選して生きていこうと思います(笑)
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