こんにちは! ゆやのです♪ 商品開発中の斧の話。 前回は、店主の目線から「なぜ、斧を作ろうと思ったのか」を紹介しました。 今回は、CALMA STOREというお店のものづくりとしての斧のお話を…。 道具に宿る心と、二万年続く斧の物語 人類と斧の関係は、二万年にも及ぶ長い歴史があります。 博物館などに行くと必ずと言っていいほど、考古学としての斧、「打製石斧や磨製石斧」を見ることができます。 狩猟、薪割り、家を建てるための材木づくり——。 道具としての斧は、人々の暮らしと密接に結びつき、生活を支えてきました。 けれど、近代に入ると斧の役割は変わり始めます。 使われる用途に合わせ、「自分の手に合った斧」を作るために、柄の太さや長さは自分で調整し、持ちやすさや使い心地を自分仕様に仕上げていく。そんな持ち主の手仕事の文化と共に、持ち主の手の形や暮らしの背景が刻まれていきました。 柄に彫られる模様や言葉、愛着を持って何年も使い込まれた柄のツヤや手触り。 斧はただの「道具」ではなく、その人の暮らしを支え、心の一部だったのだと思います。 「製品」と「道具」の決定的な違い しかし、南北戦争を経てアメリカで大量生産が始まると、斧も変わっていきます。 以前は「使いやすさ」が最優先だったのに対し、大量生産後は「見た目の派手さ」や「効率」が重視されるようになりました。 柄は美しい曲線を描き、装飾が施され、一見豪華になりました。 でも、それは「心を込めて作られた道具」ではなくなっていった。 工場で同じ型に沿って何本も作られた斧は、もはやその人だけの斧ではなく、「誰でも使える無機質な商品」になってしまったのです。 CALMA STOREが届けたいもの 私たちCALMA STOREが今、斧を作ろうと思った理由は、まさにそこにあります。 二万年も人類と共に歩んできた斧が、今や“消耗品”になっていること。 それが、どうにも寂しいと感じるのです。 私たちは、斧を「ただの道具」として作りたいわけではありません。 それを持つ人が、使い込むほどに愛着を持ち、「これは自分の斧だ」と感じられるような道具を届けたい。 だからこそ、私たちは大量生産ではなく、小さな工房で一つひとつ丁寧に作ることにこだわります。 柄の形も画一的なものではなく、持つ人の手に馴染むような形状を追求できるとなおいい。 斧を手に取ったときに、道具に宿る“あたたかみ”や“歴史”を感じてほしいのです。 道具に心を込めること 100年前の民具には、持ち主の心が宿っていました。 手作業で作られた柄の曲線、使い込まれて滑らかになった手触り。 使う人と道具の間に生まれる愛着は、工業製品からは決して生まれません。 日本には「八百万(やおよろず)の神」という考え方があります。 石や木、山や川、そして道具に至るまで、あらゆるものに神が宿ると信じられてきた文化です。 古くから日本人は、斧や包丁、鋸(のこぎり)などの道具に対しても、ただの「物」としてではなく、“命を持つ存在”として接してきました。 だからこそ、長く使い込んだ道具には「魂」が宿るとされ、役目を終えた道具を手放す際には「供養」を行う風習まであります。 それは、道具を作る人、使う人、そして道具そのものに対する深い敬意の表れでした。 工場で大量生産された斧からは、残念ながらその神聖な温もりを感じることは難しいでしょう。 けれど、一つひとつの道具に心を込めて作り上げることができれば、きっとその道具はまた「魂」を宿し、持ち主の暮らしとともに育っていくはずです。 だからこそ、開発中の段階から、この「物語」を一緒に見届けてほしいと思います。 ただの消耗品ではなく、心のこもった道具を届けたい。 人と道具が共に時間を重ね、使い込まれるほどに味わいを増し、いつしか「これは自分の斧だ」と胸をはれるような商品をお届けできたら・・・と思っています。 「金の斧でも銀の斧」でもなく、CALMA STOREの斧が選んでもらえるようになるといいなぁ♪