こんばんは! 先日、登山中にしりもちをついて青あざを作り、今度は息子とシーソーで遊んでいて太ももに青あざを作ったゆやのです(涙) さてさて、そんな負傷中の私。 今期、CALMA STOREから満を持して発表したブラックレーベル「Raven」について復習していて、 “粋と野暮を行き来しながら、私たちは今日も少しだけデコボコしていく。” こんな言葉がふと浮かびました。 Raven=渡鴉。(わたりからす)漆黒でミステリアスなその名前に惹かれながらも、CALMA STOREはこれまで意識的に“黒”を選ばないようにしてきました。理由は単純で、「黒は完成されすぎている」から。 誰にでも似合って、外さない。失敗がないからこそ、ある種の“面白み”が足りないとも思っていたんです。 私と店主はどちらかというと少数を選びがち。売れるに越したことないようなものでも、絶対人気になるのは「こっち(黒)」ですという時にも、逆風に飛び込んでいってしまうタイプです。 どうせ小さなお店だし、失うものは少ない!冒険! 台湾に単身渡り、お店を開いただけあります・・・。(店主の言葉です) そんな店主が、ブラックレーベルに「Raven」と名付けたのは必然なのかも。 渡鴉は“ただの黒い鳥”ではありません。北欧神話では知恵を司る神・オーディンの使者として、世界のあらゆる出来事を見聞きして運ぶ存在。時に不吉とされ、時に未来の兆しを告げる渡鴉は、「変化」や「再生」の象徴でもあります。 店主がそれを知ってか知らずか聞いてはいませんが、そんな渡鴉のように、黒という色もまた、見方によっては「終わり」ではなく「始まり」だったのかもしれない....そんなふとしたところに、「ここは黒だからこそ良い」という気づきがありました。 粋って、なんだろう。 まさしくまっすぐな道ではなかったと思われる店主。 社会に出てからの職歴はてんでバラバラ(笑)福祉系、飲食系、インストラクター系。 ちょこっと聞いただけでも面白いものがあります。(スレッズで一瞬、自分物語書いてたのに、あれ続かないんですか??!面白かったのにな。) そして、その職歴のひとつ。アンティーク家具のバイヤーをしていた頃に感じたこと。 それが今回のテーマに深く関わっているようです。 買い付けで出逢うたくさんの “無名だけど粋な家具” どこで作られたかも、誰が使っていたかもわからない。だけど引き出しの裏や脚の内側まで、驚くほど丁寧に作り込まれている。「粋だ」と感じる瞬間。 粋は、気取らず、飾らず、それでいて確かなこだわりがあること。対して、野暮は…と聞かれると「やりすぎ」「押しつけ」「表面的」といった印象があるかもしれません。 でもその境界線は曖昧で、人の視点や時代によっていとも簡単にひっくり返る。 流行は粋を生み、粋はやがて野暮になり、野暮がまた新しい粋を生む。 今風の言葉にしたら「エモい」っていうやつでしょうか。このリズムを、何度も何度も繰り返しながら、私たちの感性は少しずつ揺れ動いているんじゃないかと思うのです。 まっすぐじゃなくていい、むしろその方がいい。 「あなたの人生、まっすぐでしたか?」 この問いに、胸を張って「はい」と答えられる人ってどれくらいいるんでしょう。私は基本即答するタイプの人間であまり迷いがないタイプなのですが、そんな私でさえたった40年だけどこんなにもどん底ってあるのかと思った瞬間や、生きてきて、産まれてこれてよかったと感じられるような瞬間を蛇行しながら続けています。 そんな“まっすぐじゃない道”でこそ出会えた人や風景、気づけた感覚は、まっすぐよりもむしろ「研ぎ澄まされ」不思議なことにかけがえのない大切な宝物です。 CALMA STORE ブラックレーベル「Raven」の商品たちにもそうあってほしい。 私たちCALMA STOREの提案する“黒”。 それは完璧なブラックではなく、時間と共にデコボコしていくことを前提としたブラック。削れても、色が落ちても、むしろそこから魅力が増していくような存在です。 すでに第一弾のシェラカップ「Raven」は飛び立ち、皆さんと旅をはじめました。 あなたの人生がもし、まっすぐじゃなかったとしても。 それは決して間違いじゃなくて、むしろあなたらしさの輪郭をはっきりさせてくれる、大事な「凸凹」なんだと思います。 そんな“粋なデコボコ”と旅を続けたCALMA STOREの渡鴉たちに出会える日を楽しみにしています。